top of page

 

 

 

プログラム「リコーダーによる作法(ジェスティ)の新旧」解説

​「リコーダーによる作法の新旧」

・ヘンリー8世(1491−1547)宮廷の手写本より

コンソート曲集

・ルチャーノ・ベリオ(1925−2003)

「ジェスティ」

・コスタンツォ・フェスタ(ca.1485−1545)

定旋律「ラ・スパーニャ」によるコントラプンティ集

・ルチャーノ・ベリオ(1925−2003)

「ジェスティ」

・ジョン・ボールドウィン(1560−1615)手写本より

コンソート曲集

- - - - - - - - - - -

 

上記は12月15日のオリーブ・コンソート日本公演のプログラムです。

プログラム中の各作品に知名度はないけれども、それぞれが緻密な作曲技法に裏打ちされた珠玉の名曲ばかり。ルネッサンス音楽を愛好する方は特に、聴けばたちまちその響きの世界に惹き込まれるのではないかと想像します。ですからまずは純粋に各曲をお楽しみいただきたいと思います。また、ルネッサンス作品が並ぶ中に急に現代作品が入ってくる意外な曲順からは、あえて説明がなくとも何らかの意図があるのだろう、ということは自然に伝わるのではないかとも思います。そしてその不思議な雰囲気をそのまま受け取っていただくだけでも本来は十分であるかもしれません。

ただ、このプログラムのコンセプトとその背景を加えて知っていただくことは、多くの方にリコーダーという楽器の現代史をより深く理解していただくことにもつながると考え、あえてこの場を使って解説させていただきます。少々長い文章になりますが、ご興味のある方は是非ご一読いただければ幸いです。

 

- - - - - - - - - - -

ルネッサンスのリコーダー4重奏のプログラム中に、なぜ突如20世紀の作曲家ベリオの作品が、しかも2度も登場するのか?

まずこの点で、リコーダー、特に古楽を愛好され、現代音楽を聴き慣れていない方は、突飛な感じや難解な印象を持たれるかもしれません。が、この現代作品「ジェスティ(ジェスチャー、作法)」という曲は、現在これが基本とされているのリコーダーの奏法ととても深い関係があるのです。

 

●作法(ジェスティ)の「新」

〜F. ブリュッヘンと「ジェスティ」〜

リコーダーはバロック時代以降、横吹きのフルートに取って代わられ、長い間忘れられていましたが、20世紀に入り再び脚光を浴びます。多くの人がこの楽器をはじめとした古楽器とそのレパートリーに興味を持ち、古楽ブームに火がつきました。リコーダーが盛んに演奏されるようになるにつれて、やがてそれは埋もれていたリコーダーの新たな可能性をもっと引き出していこう、そしてそのために、この楽器の演奏技術をもっと高めていこう、という動きにもつながっていきます。その流れを受け、1960年代にはリコーダーのためのメソッド、エチュード、そして新しいリコーダー作品が続々と書かれました。

 

そんなリコーダーや古楽器のリバイバルブームの中、フランス・ブリュッヘン(1934−2014)が、20世紀を代表するイタリアの作曲家ルチャーノ・ベリオ(1925−2003)に新曲を委嘱します。ブリュッヘンは1950年代にリコーダーの若きスター奏者として華々しく登場しました。彼はそのキャリアの中、1967年頃より、当時多くの奏者が行っていたとは全く異なる息のテクニックでリコーダーを演奏し始めます。シンプルでストレートな音やふくらみのある音、緩急を交えたヴィブラートを巧みに用いて、平板で単純になりがちなリコーダーの音に非常に大きな抑揚をつける方法を見出したのです。その彼の演奏は、当時世界中に衝撃を与えました。

ただしそのブリュッヘンも、もともとは周囲の仲間や先輩達と同じような奏法で吹いていた時期がありました。現在残る音源から、彼の演奏が時期ごとにどんどん変化して行ったことがわかります(動画参照):

 

​                               

ヘンデルソナタイ短調(1960年代初頭)

  

1960年代初期、彼がまだデビュー間もない音源では、その音色と息遣いの素晴らしさ、そして説得力ある音楽作りなどから、すでに彼の非凡さがよく聴いて取れますが、この演奏ではすべての音に、速めで規則的なヴィブラートがかかり、当時のモダンフルートの息遣いをそのままリコーダーに当てはめたような吹き方をしています。ちょうどそれはリコーダーが再発見されブームとなった初期の頃、多くの奏者が行ってていた奏法でもあります(下掲動画参照):

 

                               

フェルディナンド・コンラートによるテレマントリオソナタ変ロ長調(1965)

 

ところが、その頃ちょうど出来上がってきたベリオによる新曲「ジェスティ」(1966年)はブリュッヘンが演奏を大改造する大きなきっかけとなります。

「ジェスティ」という曲は指、息、タンギング、声の各動作がばらばらに、数字、記号、線などで記譜されており、強弱は数字で示されています。

 

ヴァルター・ファンハウヴェはこの曲ができた1966年ブリュッヘンに師事しており、「ジェスティ」が出来上がってきた時の事をよく覚えているそうです。ブリュッヘンはファンハウヴェに楽譜を見せ、「これを一体どうやって演奏する?」と途方にくれた様子だったといいます。

 

現在Youtubeでこの曲ができて間もない頃の貴重な音源を聴くことができます:

                                             

 

ルチャーノ・ベリオ「ジェスティ」 演奏:フランス・ブリュッヘン(1967)

 

そして「ジェスティ」の初演後まもなく、ブリュッヘンは古楽のレパートリーでの演奏スタイルを大きく変えていきます。彼はコンスタントなヴィブラートを一切排除、ストレートな音を土台に置き、必要に応じてその上に様々な形状やスピードのヴィブラートを使用するようになります(動画参照):

 

​                                                                                                              

 

G. Ph.テレマン ファンタジア3番

 

上のテレマンのファンタジアは「ジェスティ」の翌年1967年の演奏のようですが、すでにヴィブラートの使用がかなり制限されていることがわかります。ファンハウヴェは「ジェスティ」は、ブリュッヘンにこの新しい奏法を見出させた運命的な1曲であると考えています。リコーダーを奏するに必要なすべての体の動作を分解し、再構築することは、彼が新たな息遣いを再発見するきっかけになったと断言します。この奏法に変えてからのブリュッヘンの音色はたちまち世界中の人の心を捉え、リコーダーブームが世界中に広がっていきます。そしてブリュッヘンが作り出したこの奏法は、その後リコーダー奏者の息遣いのスタンダードとなっていくのです。

 

このようにして、ベリオの「ジェスティ」はリコーダー奏法の歴史に決定的な影響を与えました。そしてこの曲の醍醐味はまさに、バラバラに分解された各動作から生み出される様々な音の響きにあります。実際、この曲は現在においてもリコーダー現代作品の筆頭に挙げられる名曲です。リコーダー1本からこれほど様々な音色を引き出せるとは、それまで誰も考えつかなかったことでした。この曲を初めて聴いた誰もが「これがあのリコーダー?」と驚きの言葉を発します。楽器の音、指の音、声、いろいろなタンギングが同時進行し、いったいどうしたらこんな音が出せるのか?というぐらいに複雑な響きが聞こえ、それは多くの人がイメージするリコーダーの音とは全く異なるものだからです。当然この曲は多くの作曲家を刺激し、次々と新しいリコーダー作品が書かれ、リコーダーは現代楽器としての地位を確立して行きました。つまり「ジェスティ」は、20世紀にリコーダーの新ジャンルを開花させた記念碑的作品であり、「ジェスティ」抜きにリコーダーの現代史を語ることはできません。そして50年以上を経た今もこの作品の輝きは衰えず、リコーダーという楽器の持つ単純さと複雑さ、それゆえの面白さと奥深さを私たちにダイレクトに伝えてくれるのです。

下のブリュッヘンによるヴィヴァルディの演奏には、その彼の生み出した新奏法が凝縮されているとも言えるでしょう:

​                               

 

アントニオ・ヴィヴァルディ 協奏曲ヘ長調よりラルゴ

最初のヘンデルと上のヴィヴァルディを聴き比べると、ブリュッヘンの音楽には当時から一貫したものが感じられますが、音作りに大きな変革があったことが聴き取れます。吹けば音が出る単純なリコーダーから、こんな音色と奏法を生み出したブリュッヘンの凄さ、そしてそのきっかけを作ったベリオという作曲家の凄さ。そしてこの2人にもたらされた奇跡的な巡り合わせ。何か新しいものを生み出すために湧いてくるとてつもないエネルギー、うわべではなく常に物事の本質突き詰めようという精神は、この2人が生きた1960年代の根底に流れていたものかもしれませんが、それにしても彼らの、歴史を動かすほどの想像力、洞察力、その他のあらゆる能力がどれほど研ぎ澄まされていたかは、その影響が彼らの死後、現在にまで及んでいることから見ても明らかです。そしてまさにこの頃がリコーダーのリバイバルにおいて最もエキサイティングな時代であったことは言うまでもありません。

ブリュッヘンはその後もケース・ブッケ、ヴァルター・ファンハウヴェと共に「サワークリーム」というトリオを結成し、リコーダーの知られざる名曲や、この楽器のあらゆる可能性を探り続けました。ブッケ、ファンハウヴェはその後ブリュッヘンの精神を受け継ぎ、彼の切り拓いた道をさらに推し進めるべくリコーダーの世界、中世〜現代音楽の世界、モダン楽器奏者へのコーチング等々、ジャンルに垣根を設けず世界的に活躍してきました。世界中より集まった彼らの弟子達は現在各国の第一線で活躍しています。

〜ジェスティ・フェスティバル〜

2016年、「ジェスティ」が作曲されてから50年という記念の年に、ヴァルター・ファンハウヴェはアムステルダム音楽院で「ジェスティ・フェスティバル」を企画します。それは期間中、様々な演奏家がベリオの作品を演奏し、レクチャーやマスタークラスを行う、というものでした。このフェスティバルの中でファンハウヴェ、ブッケが「ジェスティ」をそれぞれテナーリコーダー、アルトリコーダーで演奏しました。彼らの演奏は同じ曲でありながら非常に異なり、いずれも聴き手に大変に深い感銘を与えました。ブリュッヘンの薫陶を受け、彼が指揮者に完全に転向した後リコーダー界を一手に引き受け、50年にわたり世界を牽引してきたブッケとファンハウヴェ。彼らの音には、まるでそれまで歩んできたそれぞれのリコーダー人生が凝縮されているかのようでした。また、「ジェスティ」は技術的にも非常に難易度が高く、誰もが演奏できる曲ではありません。演奏には相当なテクニック、エネルギー、集中力が必要とされるにも関わらず、間もなく70歳を迎えようという2人が特に何の気負いもなく「さらり」とこの曲を演奏する様は圧巻で、それは現代リコーダー史を背負ってきた彼らがいかにこの楽器を愛し、どれだけの時間この楽器と向き合ってきたか、その半端ない情熱と経験を見せつけるものでした。そしてこの時に、2人による「ジェスティ」の歴史的名演奏を何らかの形で音に残そう、というアイディアが生まれます。ブッケは、ならば2つの「ジェスティ」を置く意味のある強いコンセプトのプログラムが必要、と本プログラム「リコーダーによる作法(ジェスティ)の新旧」を考え出します。それはこの2人による2つの「ジェスティ」を土台とし、ルネッサンスの4重奏曲にリンクさせる、というアイディアによるものでした。

では「ジェスティ」と「ルネッサンス」、一見何の関わりもないかのように見えるレパートリーが、いったいどのようにつながるのでしょうか?

 

 

●作法(ジェスティ)の「旧」

〜究極のポリフォニー〜

プログラムでは、まず「ジェスティ」が土台となり、その上に本体としてルネッサンスのポリフォニー音楽が3ブロックに分けられて置かれます。わかりやすいイメージとしては、「2本のしっかりした橋脚に支えられた長い橋」を想像していただくといいと思います。2本の橋脚は「ジェスティ」、橋脚と橋脚の間に「フェスタ」、それぞれの橋脚から陸地までの部分が「ヘンリ−8世」と「ボールドウィン」です。

            

そしてこの3つのブロックと2つの橋脚を結合しているのが「ポリフォニー」というキーワードです。「ポリフォニー(多声音楽)」とはルネッサンス時代の作曲技法で、一つの旋律に対しそれと並行するもう一つの対等な関係の旋律が作られ、さらに同じ方法でその上下に次々と新しい旋律が置かれていくものです(本プログラムの場合は4重奏なので4つの旋律)。それらの複数の旋律は同時に音が関係し合いながら置かれているけれども、1つの旋律として各々が独立もしている。そこにはずっとメインとなる主旋律の1パートというものはなく、どの声部にも主になり、かつ支える役割が与えられています。

もともと同時代にポリフォニーで書かれているヘンリ−8世、フェスタ、ボールドウィンの3セクションにつながりがあるのはもちろんですが、「ジェスティ」という現代作品も、演奏のための各動作がバラバラに行われ、同時に流れていく様はポリフォニーの考え方と通じるところがあります。この作品も時代は異なれど「究極のポリフォニー」で書かれていると解釈できるでしょう。

さらに「究極」という言葉も「ジェスティ」だけに限らず、残りの3セクションの作品にも共通のものです:ヘンリー8世の曲集に収められている曲には、王による美しいコンソート曲だけでなく、ロイドの「パズル・カノン」やイザークの「ラ・ミ」のように、ある音の組み合わせだけを執拗に繰り返して作られたマニアックな作品がたくさんあります。

フェスタは「ラ・スパーニャ」というたった1つの旋律を土台に、125曲もの作品を作り上げました。その膨大な曲数からは彼の偏狂ぶりがうかがえます。そしてボールドウィンはどこまでも比率にこだわり作曲しており、曲中に各パートが全く異なる拍子(ポリリズム)で演奏し始めるため、聴き手が認知できるリズムからは大きく逸脱するセクションがあちこちに出てきます。つまり、プログラムの各ブロックはどれをとっても「究極のポリフォニー」で作られているのです。

こういうと、もしかしたらルネッサンスのレパートリーでも現代曲のように難しく、聴きにくいのかもしれない、と思われるかもしれません。確かにボールドウィンの作品などは聴いているとだんだん、あれ???という雰囲気になり、拍子がわからない!!!もしかしたらずれてる???と思いたくなるような箇所もありますが、そのあと必ず事態は収拾され、安定したリズム、美しいハーモニーに戻っていきます。この均衡と不均衡、安定と不安定の極端なコントラストがボールドウィン作品の大きな魅力でもあります。フェスタは「ラ・スパーニャ」の旋律を125回(125曲分)、曲にごとにいろいろな声部に置いて作曲していますが、おそらく言われなければ、(もしくは言われても?)全ての曲に同じ旋律が使われているとは気づかないでしょう。同じ1つの旋律に対し、曲ごとによくもこれほど違った曲想の対旋律を思いつき、それぞれ性格の違う美しい作品に完成させられるものだ!とその名人芸的な作曲手腕には本当に驚かされます。

最後にもう一つ触れておくべきことは、本プログラムの曲は全て、リコーダー(などルネッサンス当時の管・弦楽器)のために書かれた作品であるということです。ルネッサンス時代に、ベリオと並べても違和感のないような作品が、それもリコーダーのために書かれていたとは!そしてそのことに着目し、それらを繋ぎ合わせて一つの建造物のように作り上げ、「リコーダーによる作法の新旧」と呼んだ、これはブリュッヘンの愛弟子ブッケによる「究極のプログラム」でもあります。

CD「リコーダーによる作法の新旧」I gesti antichi e moderni per flauti dolci のブックレットには「フランス・ブリュッヘンを偲んで In memory of Frans Brüggen」という一言が書き添えられています・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

​​

 

 

 

bottom of page